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思案グラス 1.2

It's under construction.

人の尊厳を知っているか? /『魔法の色を知っているか?』


正直、これほどまっすぐな、心に迫る展開が来るとは思わなかった。「化け物」と口にして、自ら進み出た老人の姿が、焼き付いて離れない。

お前は、人の尊厳を知っているのか?

そう問われた気がした。


【尊厳】
侵すべからざる権威と、他の何ものをもっても代えることの出来ない存在理由。
新明解国語辞典 第五版』

「変わらない」という価値を守り続けることは、とてつもなく難しい。


■人は変わらずにいられるか?

古いものを使い続けるには、メンテナンスが必要だ。パソコンなら、定期的にOSをアップデートしないと、正規のサポートが受けられないとか、使いたいソフトウェアが動かないとか、不具合が出る。

そうなれば、メモリ増設などの改造をハードに施すか、本体を買い換えることになる。

不具合に耐えてまで、「同じもの」を、「同じまま」で使い続けることに、価値はあるか。

これは、本書のテーマの一つ。

生身の人間は、すでにハードとして古くなっている。新技術が普及すれば、日常生活にしても医者にかかるにしても、ハードを新しくする方が、メンテナンスは楽になる。

内部を改造するだけなら、外観を損なわずに機能的な向上が期待できるし、体の一部を機械化したり、細胞をリフレッシュしたりすることがクールだ、という考え方もあるだろう。

実際、多くの人間がハードを改造したし、その副作用で、子供が産まれなくなった。

ナクチュの人々は、そういう「変化」を見ないようにして生きてきた。

「目にすれば失い、口にすれば果てる」と信じ、見たものを見なかったことにし、聞いたものを聞かなかったことにして生きてきた。


■気高さは時を越えるのか?

ナクチュの描写について最初に感じたのは、変化を受け入れない、旧態依然とした、宗教的な態度への忌避感だった。

彼らの選択は、一見すると非合理的で、「なぜそのようなことをするのか」と、理解に苦しむ。単純な「異文化」では片付けられない感覚だ。

しかし、ストーリーが進むうち、それは一面的な見方に過ぎなかったと気づかされる。

彼らが守っていたのは、戒律でも伝統でもない。人として生き、人として死ぬ。その尊さを、「変わらない」という価値を、守り続けていたのである。

正確な計算、最適な効率化を求める機械の頭脳なら、こんな決断はしないだろう。

人は、「合理」から外れた感情を持っている。平気で矛盾を抱えこむ、不完全な生き物だ。

それを愚かだ、脆弱だと断定する。あるいは、不必要なバグであると認識する。強靭な身体と圧倒的な暴力をもってすれば、生身の人間など、簡単に制圧・支配できると考える。

そういう連中には、とても理解できない感覚だろう。

「もうこの歳だ、命は惜しくない」老人は笑って言う。「これが人間というものだ。いつまでも生きられたら、こんな勇気は湧かないだろう?」

『魔法の色を知っているか?』

名もなき老人やカンマパが見せる気高さは、時を越えて受け継がれた、強い意志だ。その判断が非合理的だと知りながら、矛盾を抱えながらも、彼らは「人間」であり続けた。

それは、機械の足で簡単に踏み潰せるほど、安いプライドでは、決してない。


■人の尊厳を知っているか?

読む前に想像していたのは、もっと理詰めの話だった。生きることが曖昧になった時代を背景に、子供が生まれる地の謎を巡り、その秘密を紐解く…。そんな話だとばかり思っていた。

シリーズの二作目として手に取っただけで、意識のどこかでは、次の一作を読むための「つなぎ」でしかなかったかもしれない。

そんな自分に、何か大切なものを、この小説は残してくれた。シリーズから独立した一冊の本として、いつまでも大事に持っていたいと思うような。読書とは、こうした出会いのためにあるのだと、思い出させてくれるような本だった。

今作に限らず、森博嗣の語り口には、人間の欠点を描きながらも、時々、どこか肯定するような感じがあった。今回は、それとはまた別種の、人類全体よりも、個の気高さ・強さを描いているような手触りだ。

冒頭の【尊厳】の語釈は、手元にあった紙の辞書から引用した。小説を読んだ後に何気なく辞書を引いたら、作中の雰囲気にぴったりで驚いた。あらゆるものが代替できる作品世界を漂った後、思わず反芻したくなる語釈だ。





参考と引用

  • 新明解国語辞典 第五版』(1997)
  • © Sanseido Co., Ltd.
    本文中の引用は、824ページより。

  • 『魔法の色を知っているか? What Color is the Magic?』(2016)
  • © MORI Hiroshi
    本文中の引用は、226ページより。

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