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思案グラス 1.2

It's under construction.

その日まで、ベルリ・ゼナムに敵は無かった


運行長官である母の仕事は、「レールの上を時間通りに走らせる」こと。敬虔な信徒としてスコード教の戒律(タブー)を守るように、いつもダイヤを守ってきた。子育ての手法も全く同じで、ベルリ・ゼナムは、母の期待に応えるべく、決められたダイヤを乱さぬように生きてきた。

その日まで、ベルリはキャピタル・ガードの飛び級生として、母に敷かれたレールの上を順調に走っていた。

初めての宇宙実習の日、クラウンが襲撃され、「アイーダ・レイハントン」と名乗る女海賊と出会うまではー。


無敵の少年、ベルリ・ゼナム

ベルリ・ゼナムは、子どもであるがゆえの「無敵感」を備えたキャラクタだ。教官の鞭をよけ、大人をおちょくる無邪気な姿。平然と口答えする、傍若無人な態度など。ベルリは、実にのびのびと「子ども」をやっている。

それができるのは、母の庇護と大人たちの甲斐性によって、ベルリが守られているからだ。

たとえば、デレンセンはベルリが鞭をよけるのも、口答えするのも、呆れながら許している。ルイン・リーが「さすが飛び級生のベルだな」と、笑って囁くのもそうだろう。ベルリの振る舞いは彼らにとって日常茶飯事である、というのがよく表れている場面だ。

そんな風に、少年は「子ども」でいることを許されてきた。1話のクラウンには、モラトリアムを許容する社会である、という空気がある。ベルは「子どもの世界」で、ぬくぬくと育ってきたのだ。(すなわち、それがこの世界の「豊かさ」の一片だと私は思う。)

もう一つ、ベルリが無敵でいられる理由は、天性の才能にある。母の期待に応えながら、ベルリはある才能を磨いてきた。

それは、「わかる」を「できる」に変える力。単純な頭のよさではない、圧倒的な「センス」である。

これには、印象的なシーンが二つある。

一つは、トリーティのレクテンが飛び出したとき。「アイツ、いいのかよ!」という台詞の裏には、「戦っていいのなら最初からそうしていたのに!(早く言ってよね!)」「自分には、戦えるだけの力があるはずなんだから!」という、才能による自負と、それを存分に振るえることへの興奮が滲んでいる。

もう一つは、アイーダのGセルフに攻撃を仕掛けるとき。「敵のまさかと思うポジションが~」という台詞は、教練で習ったことを思い出しながら、それを現実に変えていくプロセスだ。「クラウンもケーブルも傷つけずにどうやる!? こうか!」という閃きも、発想を活かす体の使い方ができるからこそ、光り輝く。


『Gレコ』における「大人」と「子ども」

才能と環境に恵まれた少年は、「子どもの世界」において、無敵だった。無敵だから、アイーダに対して、次のような一言を平気で呟く。

「そういう気分でいるから、殺し合うようなことが起こるんです」

ガンダム Gのレコンギスタ』第1話「謎のモビルスーツ

これは、なんとも少年らしい、わかったような口ぶりではないか。自分が大人たちによって守られた「小さな世界」で生きていることも知らないで、よくもまあ、こんなことが言えたもんだ。

Gセルフとの戦いにしたって、デレンセンの介入がなければ危なかった。正面から殴りにいくというのは、実に子どもじみた戦い方で、「爆薬を仕掛けた」と脅すデレンセンの手口こそ、賢い大人のやり口だ。(そして、それにあっさりと引っ掛かってしまうアイーダも、まだまだ「子ども」である。)

『Gのレコンギスタ』第1話で出色なのは、子どもゆえの無敵感を描きながら(これぞ巨大ロボットアニメの醍醐味!)、同時に、それが大人によって守られた結果であることを、明確に描いている点だ。

上に下にとクラウンを移動して、「C・ガードの教官」としても「C・アーミィの一員」としても振る舞いながら、教え子が戦いを始めれば、ケツを持つため出張っていく。デレンセン・サマターという「大人」がいればこそ、ベルリは「子ども」でいられるのだ。


「世界は四角くないんだから!」と、少年はドアを叩かれた

アイーダ・レイハントンは、ベルリにとって「外の世界」からやってきた存在だ。これは、彼女がベルリよりも年上である年齢感より、魅力的な女性であることより、よっぽど重要なファクタである。

なぜなら、ベルリを甘やかし、必要な時には守ってくれる「子どもの世界」を否定する存在こそが、アイーダ・レイハントンなのだから。

「世界は、四角くないんだからぁ!」

ガンダム Gのレコンギスタ』第1話「謎のモビルスーツ

このアイーダの叫びは、ベルリに届いているわけではない。やたらと語感がいいけれど、その意味はよくわらかない。実に富野作品らしい、「ただの独り言」にすぎないものだ。

けれど、それは間違いなく、ベルリに向けられた言葉である、というのが肝心だ。「子どもの世界」に生きていた少年は、「外の世界」からやってきた少女にドアを叩かれた。賽は投げられ、歯車は動き出した。富野由悠季が描くボーイ・ミーツ・ガールは、ここに幕を開けたのだ。

これからベルリ・ゼナムの身に降りかかる困難と、それを乗り越えるべく奮闘する冒険は、少年が階段を一つ上る第2話へ続く。




引用と参考

■『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014,サンライズ,MBS)



バックナンバー

■シリーズ『Gレコ』の「大人」と「子ども」

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