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思案グラス 1.2

It's under construction.

ライバルの名は、ルイン・リー

これまでは、ベルリとラライヤについて、別名を持つことで生じた彼らの変化を書いてきた。今回は、ルイン・リーについて書こう。

前項:レイハントンの呪縛


主人公と対をなす「鏡」として

まず確認しておきたいのは、ルイン・リーというキャラクタが、ベルリ・ゼナムの「鏡」として設定されていることだ。


最も基本的なところでは、

ベルリ
・運行長官の息子という恵まれた立場
・飛び級生で、何でもこなせる天才タイプ

ルイン
クンタラ出身という、蔑まれる立場
・首席の座を自力で勝ち取る努力家タイプ

という設定がある。

ルインは、自らの生まれの不幸に対して、ベルリが才能でも環境でも恵まれていることを妬み、「マスク」を被ることになる。

けれど、彼が「マスク」としてベルリを地の果てまで追い回すのは、ベルリ個人への憎しみからだけではない。ベルリのような「特権階級」のすかしたやつらが、自分を見下すことが許せないのだ。

自分ではどうにもできない、生まれた時点で背負ったもの。

ルインは、それをどうにかするために、ひた隠しにしていた劣等感や屈辱を増幅・爆発させる装置として、(実験台として扱われるプライドまでを投げ売って)「マスク」という名前を引き受ける。


首席の座も、ガールフレンドも手放して、クンタラ出身者だけを集めたモルモット部隊で、イコンとして祭り上げられながら、新しい女と仕事をする。

そういう「業」を、自ら望んで背負い込むこと。この点がまた、ルインとベルリを鏡にしている。

ルイン
・目的を遂げるために、自ら望んで「マスク」になる

ベルリ
・「レイハントン」の名を押し付けられ、目的を見失う


後付けの名前と仮面

前項で、ベルリが「レイハントン」となり、メガファウナでの居場所を失っていく様子を書いた。

実は、あのプロセスこそが、ベルリとルインをライバルとして成立させる鍵なのだ。

ルインは、「マスク」になることで、(視聴者にとってはあからさまに不自然なほど)他のキャラクタからルイン・リー」として認識されなくなる

これは一見ネタのような描写なのだが、実のところ、冗談ではない。

ベルリが「レイハントン」の名前を与えられたとき、これと同じ現象が起きるからだ。


「レイハントン家の王子」として振る舞うよう周りからを求められたベルリは、メガファウナの中で、ベルリ・ゼナム」として認識されなくなっていく

これは、舞台装置においても同じだ。

物語を動かすために必要なのは、10話で描かれたような少年の純情ではなく、「レイハントン」の名前となる。

例えば、クレセント・シップの起動キーはただの「メダル」であり(それなら、アイーダにもできる)、そこには、ベルリがベルリである必然性がない(=名前を失ったから)。

Gセルフのみが戦場で必要とされ、帰る場所だったメガファウナで、ベルリは孤立し、ひとりぼっちになっていく。

それはまさに、ベルリが被った「レイハントン」という仮面の業だ。


ルインとベルリは、同じ境遇に立たたされるキャラクタであり、常に一対の関係にある。

「後付けの名前」を巡って、それぞれの運命に翻弄されながら、抗い戦う二人の姿が、『Gのレコンギスタ』全体を貫くプロットなのだ。


名前を失えば、本来の姿として認識されなくなる。(逆に、名前を取り戻すことで、本来の姿になれる=ラライヤ)

これが、この作品における名前の寓意というわけ。


マニィ・アンバサダという特異点

ルインについてもうひとつ肝心なのは、マニィ・アンバサダの存在だ。

彼女は、彼が「マスク」となった後もルイン・リー」という名前を認識できる唯一の存在として、とても重要なポジションにいる。

マニィはルインを探して、(きっと自慢だった長い髪をバッサリ切って!)アーミィに入隊し、「マスク」を名乗る彼に、いち早く気がつく。

「おうよ!」とかっこつけて見せた彼の背中を見て、マニィは重労働にも必死に耐え(女の力でぇ!)、仕事を覚え、バララというライバルに闘志を燃やしつつ、健気に尽くす。

もう、これだけで、僕は彼女のことが愛しくて仕方がないのだけど…

何よりも感動的なのは、「ル・イ・ン・リ」の場面でしょう。


他の誰も気に留めない。だけど、彼と彼女は通じ合うことのできる「名前」という暗号で、お互いの存在を認識し再会する…


正直、このプロットには震えますよ。

「マスク」に名前を上書きされた後も、ただひとり、彼をルイン・リーとして認める存在。

人の運命が名前に支配されるこの世界で、彼女だけが、「彼」を見つけることができる

富野監督が一人で脚本を書いたことには賛否両論あるでしょうけど、こんな素晴らしいものを見せられたら… 

もう、僕は満足です。他のことは、どうでもいい。


しかも、25話では、これをさらに越えてくる!

マニィと向き合うと決めたルインが仮面を外し、この世界で二人にしか聞こえない「接触回線」で名前を呼びあい、困難に立ち向かう…

作中設定の数々をこれほど見事に昇華したクライマックスがありますか!

声をあてている佐藤さん、高垣さんの演技も、映像演出も音楽も。あの場面は、ただただ、素晴らしい。


戦場で、「ベルリ・ゼナム」を認識する者

ここまで述べたように、ベルリとルインは鏡の存在。

つまり、「ルイン・リー」を認識するのがマニィ・アンバサダであるように、ベルリ・ゼナム」もまた、認識される存在である。

誰によって?

もちろん、ルイン・リー「マスク」によってだ。

先にも書いた通り、ルインが憎むのはベルリ本人ではなく、ベルリ・ゼナム」という名前が含み持つ、「特権階級」そのもの。

だから、ベルリがレイハントンとして生きていようが、彼にとっては関係ない。(だから、再会したマニィの話に耳を貸さない)

マスクは、ただ勝ちたいのだ。どうしてもベルリに勝ちたいし、特権階級に打ち勝ちたい。彼は常にその一心で、戦場に身を投じる。


逆に言えば、戦場において「ベルリ・ゼナム」の存在を追い求め、「Gセルフ(=レイハントン家の象徴) 」を倒そうとする「マスク」だからこそ、ベルリを救える

マスクが宿すクンタラの怨念」だけが、ベルリを「レイハントンの呪縛」から解放しうる。二人は、そういう宿命で紐づけられているのだ。

かつてないほどGセルフが窮地に陥る「バッテリー切れだな、ベルリ・ゼナムくん!」というセリフは、マスクの執念が結実した瞬間でもある。


断絶の中に光を見る

『Gレコ』では、キャラクタどうし、勢力どうしで、様々な「行き違い」が描かれる。

その中にあって、ベルリとルインも例外ではない。

ここまで、ルインの視点でベルリを討つことを語ってきたけど、ベルリには、そもそも、マスクと戦うつもりがない


前項で述べた通り、ベルリが考えているのは「親にもらった力による戦場の制御」であり、(それこそ、マスクが許せないものなのだけど、)敵はそこかしこにいる。

ベルリにとって、マスクは「その他大勢のうちの一人」にすぎず、それは、カバカーリー VS Gセルフの最終決戦も同じこと。(片手間でクン・スーンとも戦ってるしね)

結局二人は、「レイハントンの後継者」とかクンタラの守護神」とか、お互いが後付けで背負ったもののために、それぞれの都合で戦うにすぎない。

シャア・アズナブルアムロ・レイのように、お互いを感じ合い宿敵として認めあってとか、因縁に決着をつけたくて戦うわけではないのだ。


そこにあるのは、「ただ、そうするしかなかった」怨念とか、「結局、人と人は、こんなにもわかりあえない」諦めとか、「断絶は決して埋まらない」という深い溝とか、いわゆるガンダム』的なテーマなのだけど。

だけど、それだけでもないのが『Gレコ』であり、富野監督なのだと思う。


それぞれが自分の都合で戦っただけなのに、終わってみれば、爽やかな決着がついてる。

ベルリはGセルフを失うことで。

ルインは怨念を出しきることで。

その結果として、互いの名前の未来を殺す(「ベルリ・レイハントン」と「マスク」)

残るのは、ベルリ・ゼナムルイン・リーという元の名前(=ラライヤと同じく、本来の自分を取り戻す)だけ。

ベルリとルインの間にあった溝は、何一つ解決しない。

けれど、お互いが抱えていた問題にはケリがつき、それぞれ勝手に完結する。(だから、憑き物が落ちた表情でコーンスープが飲めるし、旅にも出られる)

『Gレコ』が描き続けた「ディスコミニケーション」の果てに、たどり着いたのが、この結果。なんて爽やかで、潔い決着だろう。(この終わりかたが、本当に好きだ)


ベルリが成し遂げた「レコンギスタ

「俺は、人は殺さない。 その怨念を殺す!」


『Gのレコンギスタ』から遡ること、30年。

富野監督のTVアニメ聖戦士ダンバインにおいて、主人公「ショウ・ザマ」は、ライバルである「バーン・バニングス」にこう言い放った。

『Gレコ』でベルリが体現して見せたのは、まさにこの「怨念殺し」だ。

最終話の戦いで、クン・スーンに対しても、マスクに対しても、ベルリは常に、殺すことを選択肢にしなかった。

不意にトリガーを引いて、カーヒル・セイントやデレンセン・サマターを殺めたり。アサルトパックの砲撃をコントロールしきれずに人を殺めたり。

意識的にせよ無意識的にせよ、いつも力の使い方をコントロールできずにいたベルリ・ゼナム

その彼が、自らの名前や目的を失いながら、戦場で苦しみもがき、導きだしたひとつの答え。


「わかったよ、フォトン・サーチャー!パワーの高いところを黙らせれば、人を死なせないで戦いを終わらせられるんだ!」

Gセルフの力を使って、人を殺さずに、戦闘行為をやめさせたい。

その願いのもと、バッテリーが切れるまで、ベルリは戦って戦って、ルイン・リーに怨念を吐き出させ、クン・スーンと、その体に宿っていた命まで救って見せた。

最後は、伝統のコアファイターによる「脱出」で、自らの楔も断ち切って(「レイハントン!」)、シャンクに乗り替え旅に出る。

「皆殺しの富野」と言われた作家の主人公として、ベルリは間違いなく、天才飛び級生といえるだろう。

ベルリ・ゼナムルイン・リー

あるいは、「ベルリ・レイハントン」と「マスク」。

『Gレコ』を貫く二人の関係は、富野由悠季という作家にとって、『ガンダム』的なディスコミニケーションや、『ダンバイン』的な決着についての、再征服(レコンギスタ)でもあったのだ。



以上。


三記事にわたってのお付き合い、ありあとした。




シリーズ記事
『Gのレコンギスタ』における、名前の寓意
レイハントンの呪縛
ライバルの名は、ルイン・リー

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