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思案グラス 1.2

It's under construction.

アイーダとの再会は、「ヒーローごっこ」に終わりを告げる


少年が出会ったのは、謎のロボットと、ちょっぴり年上のお姉さん。その美しい容姿に見とれ、圧倒的なフレグランスを嗅いでしまえば、心を奪われないわけがなかった。捕虜となったアイーダの身を案じ、夜のテリトリィをベルリが走る。

その先に待っていたのは、少年を「子どもの世界」から引きずり下ろす、容赦のない「現実」だった…!(リアルイズヘル!)


「英雄気取り」の箱入り息子


■「やっつけた」ってー、本当かい?

レクテンで「海賊退治」をやってのければ、ベルリは誉められて調子に乗る。昼休みにはチアガールたちに誉められるし、夜には調査部のクンパから、母の前で誉められる。ウィルミットは鼻が高いだろうし、ベルリだって、チアされた時には、「ありがとー!」なんてはしゃいで見せた。

「ご子息が海賊のモビルスーツを捕まえたとか…。流石ですな」
「偶然でしょう。負けず嫌いで、手が早いだけで」
「そうなのかな?」
「母の期待に応えようとしたら、こうなります」
「長官のご気性こそ、ご子息には毒のようですな」
「いやですよ…(笑)」」

ガンダム Gのレコンギスタ』第2話「G-セルフ起動!」

「1010回生、海賊を、やっつけた!えらい!女海賊を、捕まえたー!」
「おおー!ありがとー!」

ガンダム Gのレコンギスタ』第2話「G-セルフ起動!」

かくして、少年は英雄的な扱いを受ける。

が、これには少し、事実誤認のきらいがある。アイーダのGセルフを取り押さえたのはデレンセンだし、最初に飛び出したトリーティがどうなったのか…その安否は伏せられたまま、誰に語られることもない。

クンパはともかく、チアガールたちは、事件の一部始終を見ていたはずだ。

にもかかわらず、デレンセンやトリーティの存在は、すっぽり抜け落ちている。彼女らは1010回生の「功績」だけを誉め称え、それを広めようと笑顔を振りまく。あまりに「元気のG」すぎて、ちょっと怖いくらいである。(特に、トリーティの彼女。それでいいのか…)

おそらく、チアガールたちはメディア(あるいは、プロパガンダ)の一環として、現実を再構成し、偏向した「認識」を作り出す役割があるのだろう。後の話数でC・アーミィを応援するように、彼女たちは「将来の亭主探し」とは別に、戦意高揚や世論形成に一役を買っているのだ。

第2話でも、男たちがチアガールの前に集まって、拍手したり手を振り上げたり、やたらと騒ぐ描写がなされた。


■狭く小さい「箱庭」の中で

そんなわけで、ベルリは必要以上に持ち上げられる。

調査部のクンパには、海賊退治の既成事実を利用して、「アーミィの必要性を引き上げたい」という欲がある。ウィルミットの前でベルリを誉めるのも、その布石といえるだろう。

一方で、少年は「子どもの世界」に生きているから、「大人の事情」など露知らずだ。ベルリがいかに世間慣れしていないかを示す、次のような会話もある。

「宇宙海賊のモビルスーツを調べているんだったら、うちの港の25番ハンガーだろう」
「ええっ!? そこって、学術研究ライブラリーでしょ?」
「ベルリ…。運行長官の息子のくせに、そういうことわかんないの?」
「だって、学内の施設とキャピタル・ガードの施設は全然別で!」

ガンダム Gのレコンギスタ』第2話「G-セルフ起動!」

ベルリは、「わかる」を「できる」に変えるセンスの持ち主だが、世間のことはあまり知らない。発想は天才的だし、教えられたことは難なく覚えて実現できてるし、自信もある。

しかし、とにかく視野が狭く、世界が小さい

母の期待に応えようと生きてきたから、環境はすぐ変わるし、友達との付き合いなどなかっただろう。権力で甘やかされたのも相まって、世間知らずの「お坊ちゃん」として育ったことは、想像に難くない。

そんな彼がチアガールに誉められれば、「英雄気取りの箱入り息子」の、一丁でき上がり、というわけだ。


無敵の少年は、再び「英雄」の夢を見るか?


■ベルリの「子ども」な想像力

先輩にからかわれつつも、箱入り少年は、女海賊の香りを忘れられないでいた。そこにテリトリィへの夜襲があれば、盗んだシャンクで走り出す(別に盗んでない)。持ち前のセンスで、文字通りの「危ない橋」だって渡って見せる。マニィが女の力で跳ぶのなら、ベルリは恋の力で突っ走る。

僕があの人を助けるんだ、と。自分ならできるのだと、少年は、再び「英雄」の夢を見る。

ところが、アイーダを助けに行った先で、ベルリは「現実」を思い知る。世界も、女心も、少年が考えるほど容易くない。ロボットの操縦と違い、すべて思惑通りにいくなんてことはないのだ。

「なんであなたのような人が、宇宙で海賊なんかを…」
「地球上に太陽光発電のパネルを張ればいいのに、キャピタルは、それを禁止しています。それって独裁でしょ?」
「地球ー(演出上、台詞が遮られる)ーからなんですよ!」

ガンダム Gのレコンギスタ』第2話「G-セルフ起動!」

ベルリの主張はアイーダに否定され、おまけにビンタを食らう。これは、少年にとって予想だにしない展開だっただろう。(想像しなさい!)

年上の相手にも物怖じしない言いぐさは、さすが無敵の飛び級生。

しかし、ベルリは、「この人はこうあってほしい / こうあるべきだ」という自分の価値観を、他人に押し付けているにすぎない。(「あなたのような人」=美化とか、「海賊なんかを」=蔑みとか、言葉のチョイスが偏見に満ちている)

演出によって聞こえない部分も、同じような持論の展開だろう。これまで書いてきたように、言っている本人の価値観が狭量なのだから、当然、衝突は避けられない。こんな物言いで育ってしまえば、そりゃ、友達なんてできないだろう。


■愛の鞭と敵意のビンタ

こうした「器の小ささ」を自覚なく振りかざせば、「外の世界」からやってきた少女には、殴られもする。(持論をぶつけて相手を「操縦」しようなんて、女心がわかってないにもほどがあるぞ、ベルリくん…)

肝心なのは、デレンセンの鞭をよけられるベルリが、アイーダのビンタをもろに食らったことである。

デレンセンは、ベルリが「子ども」であることを許容し、あくまで教育の一環として鞭を振るった。そこには、彼なりの「愛」、つまり手加減があったはずだ。

対して、アイーダはベルリに「敵意」をむき出しにして、容赦なく手を上げた。

これは、イデオロギー的な対立と言ってもいい。1話では直接届かなかった「世界は四角くないんだから!」という台詞が形を変え、ベルリの「子どもの世界」を、再度、否定したのだ。

アイーダ・レイハントンは、ベルリを「夢見る少年」ではいさせてくれない。すぐにベルリを庇おうとするノレドのように、彼を甘やかしてはくれないのだ。

そして、少年の「認識の甘さ」は、ついに命取りになる。年上のお姉さんの香りを嗅いで、頬をぶたれて、チラリズムを経験して…。あるいは、再びモビルスーツに乗ったからって、いい気になっている場合ではなかった。


少年は、「大人」に恋して「世界」を知る


■イノセント・トリガー

きっかけは、些細な憧れだっただろう。

自分よりも「大人」な女性との出会い。「もっと知りたい、もっと近づきたい」と思う、素直な欲求モビルスーツという巨大な力(=「大人」への身体拡張)がもたらす快感など。少年を突き動かしたのは、実に子どもらしい、単純明快な心理だ。

しかし、ベルリの引き金は、あまりにも軽かった

モビルスーツに乗って戦いながらも、少年は、「戦うとはどういうことか」を、理解しきれていなかった。デレンセン(=「大人」)に助けられた現実を、チアガールが曲解した。それを自分の力と錯覚し、「英雄」になったつもりでいた。

世間なんて知らなくても、レールの上を走っていれば、人は自分を甘やかして、誉めてくれて…。すべてが思い通りに、うまくいくと考えていた。

まさか、自分が殺し合いを演じるなんて、想像していなかったのだ。

「そういう気分でいるから、殺し合うようなことが起こるんです」

ガンダム Gのレコンギスタ』第1話「謎のモビルスーツ

かつてこう言い放った「無敵」の少年は、優れた反射神経を持つがゆえに、自らの運命を狂わすトリガーを、何の覚悟もなく引いてしまった。


■「現実」が襲い来る

ベルリが生きていた「子どもの世界」は、音を立てて崩れた。頬にビンタを受けた時と同じように、容赦のない「現実」が、少年に降りかかる

「そのコックピットを元に戻してください!そして、カーヒルを生き返らせて!カーヒルと戦えたあなたなら、そのくらいのことできるでしょう!? ベルリ・ゼナム!」

ガンダム Gのレコンギスタ』第2話「G-セルフ起動!」

まるで実存に訴えかけるようなアイーダの叫びは、見ているだけで心が痛む。声優・嶋村侑の演技は、絵よりも鮮烈に、脳に焼き付く。『Gレコ』の中でも屈指の1アクトだろう。

「大人」だと思っていたアイーダに、子どものように泣きつかれ、ベルリは、立ち尽くすことしかできない。涙ながらの彼女の要求など、叶えられるはずもない。モビルスーツを降り、ただの「子ども」となった少年に、一体何ができるだろうか。

しかし、事実、ベルリは「何でもできる」気になっていた。チアガールに誉められて、調子に乗っていたではないか。

「子どもの世界」で得意になっていたベルリにとって、これ以上のカウンターはない

モビルスーツ(=身体拡張)によって得られる全能感と、人を殺めたときになって、ようやく、それが「幻想」であったと悟る絶望感。「現実」の生身では、何もできない無力感。

これぞ、巨大ロボットアニメの真骨頂

富野由悠季ならではの作劇である。

画作りにも抜かりはない。まるで人間のような動作で、ゆっくりと倒れこむグリモアの作画。無機質なはずのロボットが、カーヒル・セイントの死を、より生々しく感じさせる。その一方、エフラグは上空を素通りし、それが「死体」となった事実が確認される様子を、さらっと見せる。

エモーショナルな演出の中にドライな視点が混在し、視聴者にも、人殺しのリアリティを突きつける。


かくして、少年は、「大人」に恋して「世界」を知る。ベルリとアイーダは、最悪の「再会」を果たしてしまった。

少年は、もはや「子ども」のままではいられない。この先に待っているのは、モビルスーツに乗って「大人」をやり、摩耗しながら戦い続ける日々だけだ。

今後、さらなる苦境に立たされるベルリの旅は、まだまだ、始まったばかり。(監督は鬼だなぁ…)




引用と参考

■『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014,サンライズ,MBS)



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■シリーズ『Gレコ』の「大人」と「子ども」

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